振り返ってみれば、1980年代までは、
日本の経済、産業は実に目覚ましいものであった。
テレビ・ナイロンなど革新技術の導入に依存しながらも、
強い生産技術力を持つようになって、産業をたくましく発展させた。
その日本の大成功は何によるものなのか、
海外とくに米国で、成功の謎が探られた。
その成功要因は、
生産現場を大切にする現場主義、終身雇用制による会社への忠誠心、
モノ作りへの強いこだわり、過剰ともいえる高性能と高品質、
同業の多くの企業による競合などである。
確かにそれが日本産業、経済の大発展をもたらした。
ところが日本の経済、産業の多くは長い低迷を続けていて、
経済は極めて不振であり、1990年代以降は大失敗の状況といえる。
深く考えれば1980年代までの大成功要因をもたらした要因の多くが、
今ではむしろ企業や産業の足を引っ張っていることに気づかされる。
時代は、大きく変わっている。
にもかかわらず、日本経済、産業、企業
それに社会は変わっていくことができていません。
それは、これまでの輝かしい成功の代償ともいえる。
成功こそが次なる失敗の最大の要因となるのは世の常です。
この激動する時代を勝ち抜く企業の法則を探るには、
このようなかつての成功要因が、
今では失敗への足を引っ張っているという問題を
十分に踏まれることが必要不可欠である。
失敗学が注目されている。
多くの企業が失敗する時代であるから、
肥沃関心を呼んでいる。
だか、その失敗学で扱うのは、個別の失敗のケースであり、
それを未然に防ぐ努力であり、
ただちに適切に対応しようとするものです。
それはいわば、失敗対応の戦術論である。
いまの時代により深刻であるのは、
経営の基本戦略にかかわる失敗である。
激動する時代に対応できていないことからくる失敗である。
つまり戦術的ではなく戦略的な失敗である。
その失敗学こそが、今必要である。
日本の成功をつぶさに見てきただけに、
成功から失敗への転落への思いが痛烈で、
日本企業になんとしてもふたたび成功への道を
歩んでほしいと切実に願うものです。
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